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無題

 リアル"げ"であっても、それはあくまでリアル"げ"であるだけであって、リアルかというと実はそうでもなく、まぁだいたいは嘘であるな、というようなくらいが、自分にとってはなんとなく落ち着けるし、そのくらいのほうがむしろある意味においては嘘ではないような気もするわけであるけれども、この長い前置きについては、果たして大した意味もなく、結論として何が言いたいかというと、今から書くことは、リアル"げ"な何かというよりは、わりとちゃんと日記と言えるような、そういう、近況みたいなものについて、少し書いて置こうかな、という次第である。


 ここのところ、大袈裟に長く言うと数カ月とかそのくらいの話だと思うけど、刺激の強いコンテンツを鑑賞できない日々が続いていて、例えばインターネットに溢れる、強い刺激を与えるように工夫された動画コンテンツだったりとか、SNS全般だったりとか、そういうものを意識的に遠ざけるような状態であった。その傾向は音楽についても同様で、自分のこれまでを振り返っても、たぶん初めてなんじゃないかと思えることなんだけど、音楽を耳に入れることが、焼けた鉄板の上に素足で踏み入れるようとするような、そういう、生身では受け止めきれない強い刺激であるような気がして、結果的に今まであまり経験してこなかったほど、音楽を含めたあらゆるコンテンツを、意識的に遠ざける状態となっていた。


 ニュースなんかで見聞きしたものだったり、そういう社会的な色々のせいなんだか、あるいは個人的な色々のせいなんだか、何か明確な一つのことが起因している、というわけではないので、じゃあどうしてそうなったのですか、と聞かれることがあるならば、「さて、どうやら細やかな色々がたまたま重なったようです」という風に説明するしかないわけだけど、理由はともあれ、そんな状態であっても生活には空白というものが必ず存在する。


 そんなわけで、この期間、その空白を埋めるために、一時的な活字中毒とも言えるような感じで、小説なんかをただひたすら読み続ける日々を送っていた。幸い、自分はこれまで、あらゆる活字を読み尽くしたというような人生を送ってきたわけではなかったし、そもそもそんなことは杞憂であるほど、世界は活字で溢れているらしく、底なしの海から風呂桶で海水を汲んでくる程度のことを心配する必要もないようである。


 ふと、理想的な生活とはなんだろうかなどと考える。理想的で、これさえ叶うなら自分はもうそれ以外何も望まず、幸せであり続けられるという生活。現実的には難しいけれど、例えばすべての望みやら欲求やらを満たしてくれる魔法が目の前にあったなら、としたときに、人はどんな生活を思い浮かべるのだろうか。例えばアラブの石油王になって、お金をかければ達成できるすべての娯楽を手に入れることだろうか。もしくはフレンチリヴィエラに別荘を持って、身の回りの面倒はすべて片付けてくれるメイドというのか秘書というのか、そういうのをもちながら、セレブリティのパーティに明け暮れることだろうか。南仏の日差しで焼けた肌と、日陰のテラスで飲むフローズンカクテルとか、たぶん悪い話ではないだろう。あるいはもっと例えば、港区の高級タワーマンションの最上階だがなんだかに生活の拠点を置いて、社交の限りを尽くす生活を手に入れることだろうか。もしくはそんな高級なにか、でもなく、理想の生活というのはまだまだありそうである。〇〇という街に住みたい、だとか、誰それという友人たちに囲まれて、だとか、恋人とか家族がどうの、だとか、色々と多くの人が意見を出し合えば、まだまだ様々なアイデアがあり得るだろう。


 でも、じゃあ自分にとって一番理想的な生活とは何であるだろうか、などと考えを巡らせていくと、結局、山だか森だかの、極めて奥の方の、忘れ去られた場所にある山小屋みたいなところで、薪をわる日々を送りながら、一人、音を聴いたり、あるいは音を出したり、もしくは文字を読んだり、文字に起こしたり、というようにして過ごす生活なのではないか、と考えに行き着く。そういう考えに行き着いてしまうわけである。たぶんそうやって生きるのが最も小さな不幸で生活できるだろう、と。


『果たして、最良のコミュニケーションは沈黙か』


様々な物事に考えを巡らせ、巡らすほど、そういう、まるで救いのない局所解に陥ってしまう。


 歴史上そういう人があったかと言えば、ニューハンプシャーで文字通り隠遁生活を送ったらしい米文学作家なんかもいるわけなので、つまり実例は存在するわけだけど、とはいえ、この救いのない局所解が得策であるとも思えない。第一、おそらくどこにいたって、あらゆる視点から精査した上で"完全に社会と関わりを持たない”と言える生活というのは、おそらくそうそう簡単には実現し得ないだろう、などとも思う。例えば山に籠もったところで、全ての食糧を自給することは、実際には無理な話だろうし、他にも例えば、楽器を手に入れるためには楽器を作り出すことができる社会システムが必要であるし、書籍についてもそれを作って流通させるシステムが必要であるから、同様だ。それに、山小屋にも住民票って必要なんだろうか?わざわざ調べてみようとまでは思わないけれども。そもそも、薪を割る斧でさえ、街のホームセンターで買ってこようものなら、という話だ。やれやれ。「僕は、素手では薪一つ割れない」ということは、結構悲しくも重要な事実であるような気はする。


 役に立たない話は残念ながらどこまで考えても役に立たないままであるけれども、ともかく私の近況の話に戻すと、ここ最近ではいくらか、以前よりは落ち着いたようで、音楽についても少しは聴けるような状態に戻ってきたような気がする。コンテンツのあらゆる種類の刺激への耐性が戻ったかは分からないけれど、だいぶマシになったようである。


 望む望まぬに関わらず、他者との関係性を持つことは、生きていくことと切り離せるものではないようだし、避けられない物事についてはそれなりの前向きさ、みたいなものを持っていた方が、少なくともそうしようと試みることは、役には立ちそうなものである。


 話は変わるけど、制作スピードが非常に遅い自分であるけれども、今年中には何かしらまとまった形で作品を公開できるようにしたいなぁ、とか思いつつある。去年くらいから2020年の今の自分が作れそうなものを、自分の中で風化する前に何かしらまとまった形で残しておけたらなぁ、なんて思ったりする。思っているだけで、間に合うかどうかは別の話だけれど。


 それから、まるで今思い出したような言い方となってしまうのは申し訳ないけれど、例のフェス出演オーディションについて、残念ながら最終審査までいくには力及ばなかった結果であったけど、協力してくれたり、連絡をして頂いた人もいたりして、それだけで正直嬉しかった。もし一人でもこの文章を見てくれている人がいれば、と思って、改めてここでお礼を申し上げます。残念な結果ではあったけど、これで何かが終わったみたいな感覚はないし、そもそも自分の場合は、これで終えなければいけないほどのスピード感でこれまでやってこなかったわけであるので、これからもどんな形であれ、多少途切れるようなことがあったとしても、音楽は続いていくだろうな、という予感だけがただある。




 取り留めもないけど、大体こんな今日この頃であった。




 ピース。







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