四月の暖かい週末の日、僕はおじいさんとすれ違った。千五百万人もの人が活動するこの都市でおじいさんとすれ違うことなんて、なにも特筆すべきことなんてないし、これから君に話すことのうち、間違いない事実は「僕はおじいさんとすれ違った」のみであって、それを超える特別な出来事はなにも無かった、正直なところ。
とはいえ、本当になにも無かったのかと言うとそれもまた間違いで、そのおじいさんは頼りない小さな肩に、マンハッタン・ポーテージのポーチを掛けていたんだ。桜の木の下ですれ違ったそのおじいさんは、焦げ茶色のツイードのジャケットを身に纏って、ささやかな帽子を被っていた。
「しかし、このおじいさんはマンハッタン・ポーテージのポーチを、自分で手にとり、購入に至ったのだろうか?」
きっとこのおじいさんにはもうすぐ二十歳になる孫娘がいて、たぶん先月のおじいさんの誕生日に、このマンハッタン・ポーテージのポーチをプレゼントして貰ったのだ。そう、このおじいさんはきっと先月か、そのちょっと前くらいにたぶん八十四回目くらいの誕生日を迎えたのだ。そうではなくて、もしかしたら去年の誕生日かもしれない。いや、でもそのくらいの細かな違いを気にする必要はないだろう。女の子のお父さんは、娘の最近の言動、というのはつまり例えば帰りが遅かったり、派手なピアスや指輪をしたり、怪しい丈のスカートを履いていたり、そういった細々としたことが気になっているんだろう。
そう言った父親のステレオタイプな心配事はさておいて、おじいさんが満面の笑みでこのポーチを孫娘から受け取ったとき、おじいさんは正直なところマンハッタン・ポーテージというブランドを知らなかった。特徴的な赤いラベルにも見覚えはなかった。でもこのポーチは、おじいさんにとって二つの意味で特別なポーチであった。
一つは言わずもがな、かわいい孫娘が自分の誕生日を祝ってくれたものであることである。たとえそれがステューシーのパーカーだったとしても喜んだことだろう。孫娘が自分の誕生日に贈り物をしてくれたというだけで、彼はとても幸せな気持ちになることができた。
そしてもう一つ。もう一つはその赤いラベルに描かれている街が、自分にとって、痛くも忘れられない地であったことである。
おじいさんは、まさに自分が孫娘と同じ二十歳くらいだった頃、仕事だとかなんだとかそういうものを一度全部投げ捨てて、海の向こう、ニューヨークへ約一年くらい旅をしていたことがある。飛行機のチケットなんかも簡単には手に入らなかった当時、それは今ほど簡単なことではなく、それなりの冒険であったし、なにより終戦からまだそれほど経っていない時分、混沌と、しかし華やかな好景気に沸いていたニューヨークの街は、当時の彼に多くの刺激を与えた。
そして、彼はセントラルパークから少し歩いたところの地下にあるナイトクラブで、ユダヤ系アメリカ人の女と出会い、恋をした。その恋は、若かりし彼の、いくらでも形を変えうる柔いハートを酷く締め付けるような恋だった。彼らはルイ・アームストロングだとか、ヘミングウェイだとか、過ぎた戦争の話とか、あるいはそんなことでもない他愛もない話をしながら、肩を並べて、セントラルパークの家鴨をよく眺めていた。それらの景色は未だ、年を重ねた彼にとって忘れられない景色となっていた。
マンハッタン、遠く。今日は風が強く、無慈悲に満開の桜を舞わせる。
たぶんそれは君の見間違いで。
マンハッタンパッセージだったんだ。
マンハッタンは遠い。